Brockman says we're in the AGI era at the GPT-6 Astra launch
A Japanese long-form piece reviews Brockman's September 3 remarks and the debate over defining AGI, noting that OpenAI's official documents do not declare AGI achieved.
OpenAIが2026年9月3日に新しいモデルGPT-6 Astraを発表しました。発表に先立つ記者向け説明会で、社長のグレッグ・ブロックマン氏が「我々がいまAGI時代にいると感じることは、不合理ではないと思う」と述べ、AGIに到達したのかという質問には、判断は読み手に委ねると断ったうえで「個人的には、到達していると思う。ただしこれは旅の終わりではなく始まりだ」と答え、説明会を「AGI時代へようこそ」と締めたと報じられています。これは説明会での発言で、公式の発表文と安全性の技術文書は、AGIの達成を宣言していません。同じ場でブロックマン氏は、「AGIの定義は人によって違う。OpenAIを始めたころは、誰もが『これがAGIだ』と認める明確な瞬間が来るものだと思っていたが、そうはならなかった。もっと灰色で、曖昧なものだ」とも語っています。 実際、いまのAIは、コンピュータの画面上でできる作業なら、翻訳も、プログラミングも、資料の作成も、調べものも、プロンプトで頼めばたいていのことはこなすようになっています。Astraの発表でOpenAIが強調したのも、ブラウザや表計算ソフトを人のように操作して仕事を仕上げる能力でした。特定の用途のために作られてきた従来のAIと比べれば汎用性は格段に高く、日々使っている直感からこれをAGIと呼ぶ人が出てきても、不思議ではありません。 ただし、AGI(汎用人工知能)に研究者の間で合意された定義がない、というのは、AI研究の内側では長く知られてきたことです。2026年9月2日に公開された産総研マガジンの解説でも、人工知能研究センター長の片桐恭弘さんが、研究者の間に明確な定義はなく、何をAGIとみなすかによって実現したと判断される時期は大きく変わる、と述べています。私の本『AGI―人間を超える知能は文明をいかに変容させるか』の第2章にも、「AGIに定義はない」という題の節があります。 AGIという言葉が生まれる前、AIをめぐる論争は、機械に心があるかという問いに長く縛られていました。哲学者のジョン・サールは1980年の論文で、規則に従う記号操作だけで理解は成立するかを問う「中国語の部屋」の思考実験とともに、AI研究者の立場を二つに分けました。コンピュータが適切にプログラムされれば文字どおり心を持つと考える立場を「強いAI」、コンピュータは思考のシミュレーションを行うにすぎず心の研究の道具だと考える立場を「弱いAI」と呼びました。これは本来、研究者の哲学的立場の分類であって、AIシステムの種類の分類ではありませんでした。しかしこの区別はいつしか転用され、「強いAI」は心を持つAI、「弱いAI」は心を持たない道具としてのAIを指す言葉として広まりました。 AIの能力が設計者の定めた領域の外に及ばなかった1990年代までは、機械が心や意識を持つか否かは遠い未来の話として先送りにしておけたので、この枠組みでも足りていました。ところが1990年代の末から順に、チェスで人間を破り、画像認識で人間を超え、自然言語を操るようになった機械に対して、「意識があるか」という問いには依然として答えが出ません。根底にあるのは、2026年8月24日の投稿でも触れた「意識のハードプロブレム」、なぜ物理的な情報処理に主観的な体験が伴うのかという未解決の問いです。強いAI/弱いAIという枠組みは、判定不能な問いの上に建てられていたことになります。 この行き詰まりの出口になったのが、AGIという概念です。言葉自体は1997年にメリーランド大学の物理学研究者マーク・ギュブルード(Mark Gubrud)が造り、2000年代にシェーン・レッグとベン・ゲーツェルが広めました。AGIを「強いAI」の言い換えとして説明する例をいまも見かけますが、由来をたどると、AGIは心の有無ではなく扱える課題の幅で機械を区別するために作られた言葉で、強いAI/弱いAIとは別の軸に立っています。この概念の核心は、意識の有無という判定不能な問いを棚上げし、代わりにタスク汎用性という外形的で測定可能な指標に注目したことにあります。ハードプロブレムの解決を待たずに答えられる問題は何か、という8月24日の投稿で書いた私の姿勢も、この割り切りの延長にあります。 ところが、その「タスク汎用性」を厳密に定義することが、それ自体難しいことがわかってきました。ベンチマーク(性能を比較するための標準化された問題集)は問題の難しさを測っているのであって、知能を測っているのではありません。高い得点が、訓練データに似た問題への習熟によるのか、それを超える能力によるのかは、得点だけからは判別できません。訓練データに含まれていない全く新しい種類の問題への振る舞いだけが汎用性を見分けるテストになりますが、何が「全く新しい」かを判定し、そうした問題を意図的に作ること自体が、知能の理論を前提としています。ここに循環があります。AGIの定義は知能の理論を前提とし、知能の理論は未完成のままです。現在も、すべての専門家が合意するAGIの定義は存在しません。 今回の発表にも、この難しさがそのまま現れています。汎用性そのものの測定に近づく試みとされる抽象推論ベンチマークARC-AGIの最新版、ARC-AGI-3を運営するARC Prize財団は、Astraの結果を二つの数字で公表しました。モデルが自分でメモを取って状態を保つ標準の実行環境では約63%、推論の内部状態を要求のあいだ保持できる新しい実行環境では99.9%です。OpenAIは後者を、実際の利用条件に合わせた設定でありARC-AGI-3向けの調整ではないと説明しており、どちらも財団が自ら実行して公表した値です。それでも、同じモデルの得点が、状態の保持を含む実行環境の違いによって二つの値を持ちます。財団自身も、このベンチマークを解き尽くすことは「AGI達成の証明」にはならず、AstraがAGIだと主張するものではない、と明記しています。 しかし、厳密な定義がないことは、AGIについておおよその判断すらできないことを意味しません。科学は「種」や「生命」のように厳密な境界を欠く概念を作業的に運用しながら前進してきました。実用的な目安もいくつか提案されています。チューリングテストの精神に沿えば、十分な対話を通じておおよそ人間並みの知的能力と判断できるかどうかが、直観的な目安になります。経済学者の井上智洋さんは、人間の知的労働(とくにリモートワーク)をおおむね代替できるAIをAGIの実用的な定義として提案しました。OpenAIが憲章に掲げる「経済的に価値のある仕事の大半で人間を上回る、高度に自律的なシステム」という定義も、同じ流れのものでしょう。 Google DeepMindの研究者たちは2023年、性能(深さ)と汎用性(幅)の二軸で、AGIを単一の閾値ではなくレベル0から5までの段階として定式化しました。ARC-AGIを設計したフランソワ・ショレは、知能を「すでに持っている技能の量」ではなく「少ない事前知識と少ない経験から新規課題の技能を獲得する効率」として定義し直すべきだと論じています。いずれも閾値を厳密に画定するものではありませんが、これらの目安に照らせば、あるシステムがAGIに近いか遠いかのおおざっぱな判断は可能です。私の本では「おおよそ人間並みの汎用的知的能力」を作業的な理解として採用しました。 鍵となるのは、この閾値が一つの軸には還元できないという点です。私は、広範な認知能力のカバレッジ、自律性の持続時間、有限の計算資源のもとでの効率、新規課題の獲得効率、望ましい傾向性といった複数の軸が、それぞれの水準を同時に跨ぐ「閾値ベクトル」としてAGIを理解するのが自然だと考えています。この見方では、「AGI時代に入ったのか」は一つのイエスかノーで答える問いではなく、軸ごとに、どこまで跨がれ、どこがまだ手前にあるのかを確かめる問いになります。ブロックマン氏の「灰色で曖昧」という表現は、合意された定義がなく境界が連続的だというこの見方と重なる、と私は受け取りました。ただし、定義の不在は原理的な不可能性ではなく、知能の理論の未成熟を反映した現時点での困難で、汎用性を測る指標に研究者の合意が成立すれば、AGIの定義もまた成立しうると考えています。 私自身は、AGIの理論研究者でもあります。どうやって定義のないものを研究できるのか?疑問に思われるかもしれません。私は、AGI定義の問題をいったん保留し、無限の計算資源を仮定したときの知能の理論的な上限をまず定めて、現実のシステムがそこにどれだけ近づいているかを評価する、という立場でこの問題を研究してきました。この理想的な知能のモデルが、マーカス・ハッターが2005年に定式化した万能AI(Universal AI)で、その具体的な数理モデルがAIXIです。この上限はそれ自体が計算不可能で、最適性も参照する計算モデルの選び方に相対的だという限界がありますが、物理学の理想気体と同じく、実現できない理想を基準に使うという考え方です。AGIとは、この理論的な上限に向かって性能を上げていく過程で人間並みの汎用性に十分近づいた段階のことである、という作業的な定義を置いて、研究する、というやりかたです。この万能AIを天井として、特化型AI・AGI・ASIがどう並ぶかは一枚の図で整理できます。これについては後日あらためて投稿します。 以上はごく要約です。AGIという概念の来歴と定義の問題は第2章、知能の理論的な上限からの距離の測り方は本の第2章から第4章で論じています。